特有のエネルギッシュさを持つ非定型発達・ADHD
ADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder: 注意欠陥・多動症)とは、不注意や衝動性が長い期間持続し、社会生活に悪影響を及ぼすほど不適応を起こすような非定型発達の症状を指す(DSM-5)。成人になるとある程度症状が収まるが、日本でも大人の約60人に1人がADHDの症状をもつとされる(例えば中村ら, 2013)。
ADHDは決して珍しい症状ではなく、彼ら・彼女らのもつエネルギーは、適応する場所では優れた創造性をもたらすことも知られている(e.g. H. A. White, 2018)。こうした特徴は前頭前野や大脳基底核など様々な脳部位がもつ特殊なネットワークに由来すると考えられている。
ADHDは特有の時間感覚をもち、感覚や動きの同期が取りづらくなる
さて、近年ADHD症状の一つとして、感覚と運動の同期が取りづらかったり、経過した時間を測るのが苦手だったりする点が着目され始めている(e.g. Noreika V., Falter C. M and Rubia K., 2013)。以下便宜的に、このADHD特有の時間感覚を「タイミング障害(Timing deficit)」と呼ぶことにしよう。この「タイミング障害」はADHDの不注意や衝動性と密接に関係し、特に前頭葉-小脳ネットワークのドーパミン経路が関わっていることがわかっている。また、単なる認知的な問題(うっかりして時間を忘れてしまう、というような)ではなく、この時間感覚は独立した神経ネットワークが担っていることが示唆されている。
こうした状態をADHDを持たない人が想像するのは難しいが、最近良い例が見つかり始めた。日常的にも、音楽を聞いていてリズムを取りづらいことはあるだろう。一見特異な「タイミング障害」は、ふだん生じるような”リズムの取りづらさ”に関連した神経回路と、共通のメカニズムをもっているかもしれない。
感覚と運動に関わる同じドーパミン経路が、ADHD特有の時間感覚と音楽のリズム感両方に関係している可能性
著者Slaterらは、音楽のリズム感覚(音楽の周期性や長さの変化を正確にとらえる能力)も、ADHDが苦手とする感覚と動きの連動に関係する点に着目した。音楽のリズム感覚は前頭葉や大脳基底核、小脳など、感覚・運動に関わる多くのネットワークが担っているとされている。さらにリズム感覚訓練を積んだ音楽家では、これら神経系のドーパミン受容体が増加している可能性が示唆されている(Emanuele et al., 2010)。
著者らは多くの音楽研究・ADHD研究を比較して、音楽家のリズム感覚に関わるドーパミン経路と、ADHDの「タイミング障害」で機能が低下してしまっている感覚・運動の経路がよく似ていることを見出た。さらにその経路に関わる機能が、ADHDと音楽家で対象的なパターンであることを確認した(下表)。
|
認知機能 |
感覚と運動の
協働 |
リズム
知覚 |
神経活動
パターン |
神経回路 |
神経調節
システム |
ADHD |
注意・抑制制御・ワーキングメモリの機能が低下 |
抑制制御が苦手。
運動タイミングがばらつく。 |
周期性や音の長さの区別が困難 |
複数帯域で
ばらばらの
振動パターン |
特定領域(前頭・頭頂・運動野・小脳・基底核)の容積が小さい。
運動野と感覚野の結合が弱い。 |
ドーパミン経路が不安定。 |
音楽家 |
注意・抑制制御・ワーキングメモリの機能が発達 |
抑制制御が得意。
運動タイミング
が安定。 |
周期性や音の長さの区別が得意 |
複数周波数間が同期した振動パターン |
小脳と大脳基底核の容積が大きい。
運動野と感覚野の結合が強い。 |
ドーパミン受容体が増加している可能性 |
表:ADHDと音楽家に共通した神経回路と、それぞれのグループがもつ機能の特徴(Jessica L. S. & Matthew C. T., 2018)
音楽リズムの訓練がADHDの症状を緩和する証拠がある
音楽家としての訓練は、ADHDをもつ人々が苦手とする機能を鍛える効果があるらしい。では、実際にADHDをもつ人が音楽の訓練をするとどうなるのだろうか? 例えばDahanらは、運動やリズム感を改善するとADHDの脳波の異常振動パターンが改善され、結果として認知機能や実行機能などの症状も改善されると報告している(Dahan et al., 2016)。
著者らはこうした効果は飽くまで様々な介入のうちの一つにすぎない、と注意をうながしながらも、音楽やリズム、運動などの機能改善を通して認知機能を改善できる新しい可能性を示している。
「非定形」の探求が、多数派の特性についての示唆を導いてくれる
ADHDを始めとする非定型発達のほとんどは、不適応の原因となる明確な神経ネットワークや機能がわかっていない。そのため今回紹介したように、脳が音楽のリズムをどう処理しているか、というどんな人にでも当てはまる考察から、ADHDのような複雑かつ特異的な脳神経メカニズムを考える試みが数多く行われ始めている。
非定型発達は、確かに社会生活で不適応をきたす事が多い。しかしこれらの不適応を探求することは、転じて「多くの人が営む社会生活はその実、どんな神経基盤の上に成り立っているのか?」という問いかけでもある。日頃、当たり前のようにこなしている営みは、実は一見関係なさそうな脳神経ネットワークを応用して、なんとか成り立たせているに過ぎないのかもしれない。
Reference
Timing Deficits in ADHD: Insights From the Neuroscience of Musical Rhythm. Jessica L. S. and Matthew C. T., 2018, Frontiers in Psychol.
特有のエネルギッシュさを持つ非定型発達・ADHD
ADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder: 注意欠陥・多動症)とは、不注意や衝動性が長い期間持続し、社会生活に悪影響を及ぼすほど不適応を起こすような非定型発達の症状を指す(DSM-5)。成人になるとある程度症状が収まるが、日本でも大人の約60人に1人がADHDの症状をもつとされる(例えば中村ら, 2013)。
ADHDは決して珍しい症状ではなく、彼ら・彼女らのもつエネルギーは、適応する場所では優れた創造性をもたらすことも知られている(e.g. H. A. White, 2018)。こうした特徴は前頭前野や大脳基底核など様々な脳部位がもつ特殊なネットワークに由来すると考えられている。
ADHDは特有の時間感覚をもち、感覚や動きの同期が取りづらくなる
さて、近年ADHD症状の一つとして、感覚と運動の同期が取りづらかったり、経過した時間を測るのが苦手だったりする点が着目され始めている(e.g. Noreika V., Falter C. M and Rubia K., 2013)。以下便宜的に、このADHD特有の時間感覚を「タイミング障害(Timing deficit)」と呼ぶことにしよう。この「タイミング障害」はADHDの不注意や衝動性と密接に関係し、特に前頭葉-小脳ネットワークのドーパミン経路が関わっていることがわかっている。また、単なる認知的な問題(うっかりして時間を忘れてしまう、というような)ではなく、この時間感覚は独立した神経ネットワークが担っていることが示唆されている。
こうした状態をADHDを持たない人が想像するのは難しいが、最近良い例が見つかり始めた。日常的にも、音楽を聞いていてリズムを取りづらいことはあるだろう。一見特異な「タイミング障害」は、ふだん生じるような”リズムの取りづらさ”に関連した神経回路と、共通のメカニズムをもっているかもしれない。
感覚と運動に関わる同じドーパミン経路が、ADHD特有の時間感覚と音楽のリズム感両方に関係している可能性
著者Slaterらは、音楽のリズム感覚(音楽の周期性や長さの変化を正確にとらえる能力)も、ADHDが苦手とする感覚と動きの連動に関係する点に着目した。音楽のリズム感覚は前頭葉や大脳基底核、小脳など、感覚・運動に関わる多くのネットワークが担っているとされている。さらにリズム感覚訓練を積んだ音楽家では、これら神経系のドーパミン受容体が増加している可能性が示唆されている(Emanuele et al., 2010)。
著者らは多くの音楽研究・ADHD研究を比較して、音楽家のリズム感覚に関わるドーパミン経路と、ADHDの「タイミング障害」で機能が低下してしまっている感覚・運動の経路がよく似ていることを見出た。さらにその経路に関わる機能が、ADHDと音楽家で対象的なパターンであることを確認した(下表)。
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認知機能 |
感覚と運動の
協働 |
リズム
知覚 |
神経活動
パターン |
神経回路 |
神経調節
システム |
ADHD |
注意・抑制制御・ワーキングメモリの機能が低下 |
抑制制御が苦手。
運動タイミングがばらつく。 |
周期性や音の長さの区別が困難 |
複数帯域で
ばらばらの
振動パターン |
特定領域(前頭・頭頂・運動野・小脳・基底核)の容積が小さい。
運動野と感覚野の結合が弱い。 |
ドーパミン経路が不安定。 |
音楽家 |
注意・抑制制御・ワーキングメモリの機能が発達 |
抑制制御が得意。
運動タイミング
が安定。 |
周期性や音の長さの区別が得意 |
複数周波数間が同期した振動パターン |
小脳と大脳基底核の容積が大きい。
運動野と感覚野の結合が強い。 |
ドーパミン受容体が増加している可能性 |
表:ADHDと音楽家に共通した神経回路と、それぞれのグループがもつ機能の特徴(Jessica L. S. & Matthew C. T., 2018)
音楽リズムの訓練がADHDの症状を緩和する証拠がある
音楽家としての訓練は、ADHDをもつ人々が苦手とする機能を鍛える効果があるらしい。では、実際にADHDをもつ人が音楽の訓練をするとどうなるのだろうか? 例えばDahanらは、運動やリズム感を改善するとADHDの脳波の異常振動パターンが改善され、結果として認知機能や実行機能などの症状も改善されると報告している(Dahan et al., 2016)。
著者らはこうした効果は飽くまで様々な介入のうちの一つにすぎない、と注意をうながしながらも、音楽やリズム、運動などの機能改善を通して認知機能を改善できる新しい可能性を示している。
「非定形」の探求が、多数派の特性についての示唆を導いてくれる
ADHDを始めとする非定型発達のほとんどは、不適応の原因となる明確な神経ネットワークや機能がわかっていない。そのため今回紹介したように、脳が音楽のリズムをどう処理しているか、というどんな人にでも当てはまる考察から、ADHDのような複雑かつ特異的な脳神経メカニズムを考える試みが数多く行われ始めている。
非定型発達は、確かに社会生活で不適応をきたす事が多い。しかしこれらの不適応を探求することは、転じて「多くの人が営む社会生活はその実、どんな神経基盤の上に成り立っているのか?」という問いかけでもある。日頃、当たり前のようにこなしている営みは、実は一見関係なさそうな脳神経ネットワークを応用して、なんとか成り立たせているに過ぎないのかもしれない。
Reference
Timing Deficits in ADHD: Insights From the Neuroscience of Musical Rhythm. Jessica L. S. and Matthew C. T., 2018, Frontiers in Psychol.